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ロッテ創業者が死去 一代で巨大企業グループ築く

記事一覧 2020.01.19 16:58

【ソウル聯合ニュース】ロッテグループの創業者、辛格浩(シン・ギョクホ、日本名:重光武雄)氏が19日、ソウル市内の病院で死去した。

辛格浩氏(資料写真)=(聯合ニュース)

辛格浩氏(資料写真)=(聯合ニュース)

 辛氏は韓国と日本で食品や流通、観光、石油化学などの事業を手がけ、一代で巨大な企業グループをつくり上げた。韓国ではガム事業から始め、第5位の財閥に成長させた。

 辛氏は1921年、韓国南東部の蔚山で5男5女の長男として生まれた。日本による植民地時代だった41年、一人で日本に渡り、新聞や牛乳の配達などをしながら苦学した。

 44年に切削油を製造する工場を設立し、事業を始めたが、第2次世界大戦当時、工場が全焼するなどの試練を経験した。せっけんや化粧品をつくって再起に成功した後、ガム事業に参入し、48年にロッテを設立した。ロッテはチョコレートやキャンディー、ビスケット、アイスクリームなども手がけ、成功を収めた。

 韓国と日本の国交正常化により、韓国に進出。67年にロッテ製菓を設立し、観光や流通、化学、建設などにも事業を広げた。とりわけ、「資源が乏しい韓国は必ず観光立国づくりを成し遂げなければならない」との信念の下、ロッテホテルやロッテワールド、ロッテ免税店など観光産業に大規模な投資を行った。

 観光産業を国家戦略産業に成長させた実績が評価され、95年、観光産業分野では初めて「金塔産業勲章」を受章した。

 だが、2015年、長男の辛東主(シン・ドンジュ、日本名:重光宏之)ロッテホールディングス(HD、本社・東京)元副会長と次男の辛東彬(シン・ドンビン、日本名:重光昭夫)韓国ロッテグループ会長の経営権争いが表面化し、ロッテは大きな危機を迎えた。この過程で辛格浩氏は韓日ロッテの事実上の持ち株会社の役割も担うロッテHDの取締役から退いた。韓国の関連企業の取締役からも退任し、形式的には17年、グループ経営から手を引くことになった。

 また、背任や横領などの罪で17年12月、懲役4年と罰金35億ウォン(現在のレートで約3億3000万円)を地裁から言い渡されたが、健康上の理由で収監は見送られた。

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