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李健熙サムスン会長 果敢な投資で「半導体神話」実現

記事一覧 2020.10.25 16:17

【ソウル聯合ニュース】25日に死去した韓国・サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長が1987年にサムスングループ会長に就任した当時、サムスンは国内では最高の企業と評価されていたが国際舞台での存在感は微々たるものだった。

2003年10月、京畿道・華城のサムスン電子メモリー研究棟の展示館を訪れた李会長(資料写真)=(聯合ニュース)

2003年10月、京畿道・華城のサムスン電子メモリー研究棟の展示館を訪れた李会長(資料写真)=(聯合ニュース)

 当時、サムスンは日本のソニーなどをベンチマーキングしながら追撃者として奮闘する企業だったが、いまやソニーから「サムスンを見習おう」といわれるほど世界市場を先導する企業に成長した。会長就任式で表明した「サムスンを世界的な超一流企業に成長させる」というビジョンが現実となった。

 1993年にドイツで行った「新経営宣言」はグループの体質を徹底的に改善しなければ市場で生き残ることができないという危機意識によるものだった。サムスンはこうした危機意識に基づいた革新と体質改善に成功し、ソニー、米アップルなど世界的な企業のけん制をくぐり抜けて世界で最大かつ最高の企業にのし上がることができた。

◇果敢な投資で打ち立てた「半導体神話」

 サムスンが世界で技術と品質を認められ始めたのは半導体事業が成功してからだ。1969年1月に設立されたサムスン電子はテレビ、冷蔵庫などの家電事業で成功の基盤を固め、1974年に韓国半導体を買収して半導体事業の足場を設けた。当時、サムスンの系列会社の取締役だった李氏は韓国半導体が破産直前の危機に直面していることを知り、私財を投じて買収した。

 李氏の父でサムスングループ創業者の李秉チョル(イ・ビョンチョル)氏をはじめ経営陣は「テレビもきちんと作れないのに半導体事業が可能なのか」と懐疑的だったが、李氏は先端技術産業に進出し成功することがサムスンが生き残る道だと主張し、自身の考えを曲げなかった。第1次オイルショックの余波でフェアチャイルド、インテル、ナショナルなど世界的な企業が構造調整や減産に乗り出した状況だったが、果敢な投資で勝負手を放った。

 サムスンは1975年に腕時計用の集積回路チップを開発したのに続き、翌年、韓国で初めてトランジスタの生産に成功した。当時、最先端だった3インチのウエハー設備も京畿道の工場に整えた。

 1982年には米国、日本に次いで世界で3番目に64K DRAMを開発し、半導体市場の強者となった。その後、サムスンは半導体メモリー市場で一度も世界1位の座を明け渡さずに成長を続けた。DRAMだけでなくスマートフォン(スマホ)をはじめとする各種デジタル携帯機器に多く使われるフラッシュメモリー、システムLSI(大規模集積回路)の分野でも投資と開発を続け発展を遂げた。

◇「品質が第一」 携帯電話事業でも成功

 李氏は半導体事業の成功に安住せず携帯電話市場の開拓にも乗り出した。サムスンが携帯電話市場に参入したのは李氏が新経営を宣言するころだった。当時、国内の携帯電話市場は米モトローラが掌握していた。

 サムスンは1994年、最初の携帯電話を発売したが不良率が11.8%に上り、市場にそっぽを向かれた。これを受け、李氏は1995年に慶尚北道亀尾市の事業場に不良品15万台を集めて焼却し、サムスンの根本的な体質改善の必要性を強調した。

 こうして始まったこだわりの品質改善の努力が実を結び、同年8月に、当時のサムスンの携帯電話ブランド「Anycall」はモトローラを抑え51.5%のシェアで国内トップに立った。当時、世界シェア1位だったモトローラが唯一、シェアトップを獲得できなかった市場が韓国だった。製品力を土台にAnycallは国内だけでなく世界的な人気を集めていった。2000年代初めまで半導体がサムスンを支えたが、携帯電話がサムスンの成長をけん引するようになった。

 李氏は不正資金事件で2008年に特別検察官の捜査を受け、背任などの罪で在宅起訴され会長職を退いたが、2010年に復帰した。この時期はアップルの「iPhone(アイフォーン)」が世界市場を席巻し、スマホブームが起きたときだった。「Anycall神話」に浸っていたサムスンは当時、爆発的に成長していたスマホ市場への対応で遅れをとり、一時は深刻な危機を迎えていた。携帯電話市場の絶対強者とされていたノキアもこのときから没落の道を歩んだ。アップルを追撃できなければ格差が大きく広がる状況だった。

 サムスンはiPhoneの韓国発売を控えた2009年8月、既存のスマホをアップグレードさせた「オムニア2」を発売したが「形だけスマホなのでは?」などと冷たくあしらわれた。

 しかし翌年、グループの力を集結させた「ギャラクシーS」を発売し、ようやく追撃の足掛かりをつかんだ。当時、ギャラクシーSはアップルの脅威ではなかったが、サムスンはギャラクシータブ、ギャラクシーS2、ギャラクシーS3を次々と発売し、アップルを猛追した。

 2011年4月に発売されたギャラクシーS2は、性能が改善されたハードウエアと進歩したソフトウエアを搭載し、4000万台以上を売り上げた。この時からスマホ市場でのサムスンの本格的な疾走が始まる。同年の7~9月期、遂にサムスンはアップルを抑え、世界市場で1位に立った。

 世界最強のアップルはサムスンのギャラクシーをiPhoneの「複製品」だと見下し、警戒した。両社の神経戦は数十件の特許訴訟にも発展した。一方ではこうした争いさえも、世界市場でサムスンとアップルの2強体制を確認させるものだとの評価も出た。

 サムスン電子のスマホは2012年から世界市場で販売台数ベースではトップを守っている。このほか、サムスンの事業の根幹であるテレビ、家電も10年以上にわたり世界1位を維持している。

2003年にソウルで開かれた半導体特別戦略会議に出席したときの李氏(資料写真)=(聯合ニュース)

2003年にソウルで開かれた半導体特別戦略会議に出席したときの李氏(資料写真)=(聯合ニュース)

李氏はニューズウィークアジア版の表紙を飾ったこともあった(資料写真)=(聯合ニュース)

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hjc@yna.co.kr

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