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サムスン電子 李会長就任後27年間で株価50倍・時価総額500倍に

記事一覧 2020.10.25 19:25

【ソウル聯合ニュース】「株価は50倍、時価総額は500倍に」――。

25日に死去した韓国・サムスン電子の李健熙(イ・ゴンヒ)会長がサムスン電子を経営した27年間の成果を表した数値だ。

李健熙氏(資料写真)=(聯合ニュース)

李健熙氏(資料写真)=(聯合ニュース)

 韓国取引所によると、李氏が1987年にサムスングループ会長に就任した当時、サムスン電子の株価は2万7000ウォン(現在のレートで約2500円)台だった。時価総額は4000億ウォン台で、韓国株式市場での順位は韓国通信(現KT)、浦項製鉄(現ポスコ)などに押され10位台だった。当時、サムスン電子は家電市場で金星社(現LG電子)に次いでほぼ二番手だった。同年通年の営業利益は1127億ウォン、売上高は2兆3813億ウォン、純利益は345億ウォンにとどまった。

 サムスン電子を家電メーカーから今のような世界的なIT企業に跳躍させた最大の原動力は李氏が主導した半導体事業への進出だ。

 李氏はサムスン電子の経営に乗り出す前の74年に私財を投じて韓国半導体を買収し、半導体事業の足場を設けた。88年にサムスン半導体通信をサムスン電子に合併させたのを皮切りに92年には世界で初めて64M DRAMの開発に成功し、世界市場の強者に浮上した。

 93年には「妻と子ども以外は全部変えよう」と述べたことで有名になった「新経営宣言」を通じて、世界最高レベルの品質を重視する経営を追求する「第2の創業」に乗り出した。その後、半導体メモリー市場で一度も世界1位の座を明け渡さずに成長を続け、サムスン電子の株価も94年に5万ウォン、95年に10万ウォンを突破した。

 李氏は半導体事業の成功に安住せず携帯電話市場の開拓にも乗り出した。94年に最初の携帯電話を発売したが、品質問題などで市場にそっぽを向かれた。これを受け、李氏は95年に慶尚北道亀尾市の事業場に不良品15万台を集めて焼却し、品質改善に力を入れた。その結果、サムスンの携帯電話はその年に国内シェア1位を獲得。世界的に成長し、半導体とともにサムスン電子を支える2大事業に発展した。

 97年のアジア通貨危機でサムスン電子の株価は同年12月末に一時3万ウォン台に暴落したが、急速な経済回復と半導体・携帯電話がけん引した成長で99年に韓国通信を抜き時価総額1位を記録した。2004年には株価が50万ウォンを突破した。

 その後、数年にわたり50万~60万ウォン台で推移した株価がさらに上昇する契機が10年ごろに訪れた。

 07年に発売された米アップルのスマートフォン(スマホ)「iPhone(アイフォーン)」が世界市場を掌握し、サムスン電子は一時、危機を迎えた。不正資金事件で08年に特別検察官の捜査を受け、背任などの罪で在宅起訴され会長職を退いた李氏が10年に復帰後、グループの力を集結させたスマホ「ギャラクシーS」を発売。スマホ市場で本格的な追撃に乗り出した。サムスン電子の株価も跳ね上がり11年1月に100万ウォンの大台を超えた。続いて発売した「ギャラクシーS2」で、11年7~9月期にアップルを抑え、スマホの世界市場で販売台数1位に立った。株価は12年12月に150万ウォンに達した。

 14年5月に李氏が急性心筋梗塞で倒れ、経営の一線から退いた当時、サムスン電子の株価は133万5000ウォン、時価総額は196兆6446億ウォン(14年5月9日終値基準)に上った。87年の会長就任当時と単純比較をすると株価は約50倍、時価総額は約500倍に増えたことになる。

 14年通年の連結決算は、本業のもうけを示す営業利益が25兆251億ウォン、売上高が206兆2060億ウォン、純利益が23兆3944億ウォンで、87年に比べ営業利益は222.1倍、売上高は86.6倍、純利益は678.1倍になった。

hjc@yna.co.kr

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